メッセージ


97年・ウズベキスタン戦

投稿日時:2020/04/22 10:52


おはようございます!貴男です。

日に日に暖かくなってきたので、外で遊んだりテニスをしたくなりますが、ここは辛抱強く我慢ですね。さて今日からは、1997年の7月にウズベキスタンのタシュケントで行われたデ杯のプレーオフの模様をお伝えします。

2月にアジア・オセアニアゾーングループ1の1回戦で韓国に敗れた日本は、グループ1残留をかけてアウェーに乗り込みました。監督は神和住さんでこれが2戦目となり、松岡さんをチームから外して初めてのデ杯になります。ウズベキスタンが用意したのは、レッドクレーで7月のタシュケントなのでかなり気温が高い状況でした。デ杯前に僕と岩渕さんは、イタリアのサテライト(4週間)に出ることを決めて、ダブルスを一緒に組んで回り、当時のデ杯コーチだった竹内さんが最後のマスターズ大会から合流してもらうことにしました。

この時のメンバーは、本村さん・金子さん・岩渕さんと僕の4人で、日本からタシュケント入りするのではなく、イタリアのローマで数日間ほど調整を行ってから現地入りするという方法を取りました。すでにローマでは何度も練習をしていたし、レッドクレーを保有しているテニスクラブが多いので、クラウディオの力を借りてホテルとコートを確保することが出来ました。そのローマでの調整期間の出来事で僕と岩渕さんで5セットマッチのシングルスをしましたが、テニス人生の中でも最高の5セットマッチでした。

はっきりとしたスコアーは覚えていませんが、僕が2セットダウンから逆転で勝ってお互いヘトヘトになりながらホテルに帰った記憶があります。後にも先にもこれほど激しい練習試合をしたことがありません(笑)相手のウズベキスタンチームですが、ナンバー1のオゴロドフが当時100位前後というアジアの中では飛び抜けた存在で特にクレーコートでは強く、彼に2勝されるのは仕方がないことなので、ナンバー2から2勝とダブルスで1勝し、3勝2敗で勝ちに行くという考えでした。

日本チームのランキングと年齢は、100位後半から300位台の選手で、年齢的に23歳から20歳という一新されたチームでした。それは、神和住監督がこれから新しいチームを作っていくという覚悟であり、ここで応えることが出来れば、個人戦の成績にも繋がると思っていました。現地に着いてからの模様は、明日以降にお伝えします。

それでは、また・・・・。貴男