メッセージ


ウズベキスタン戦・初日

投稿日時:2020/04/23 09:55


おはようございます!貴男です。

昨日からお伝えしている97年のデ杯・ウズベキスタン戦の続きです。僕と岩渕さんの激闘練習試合があり、ローマでの調整を終えて、本村さんと金子さんも他の大会から合流し、ウズベキスタンの首都タシュケントに移動しました。今でこそウズベキスタンと聞いて分かる方が多いと思いますが、当時は、まだまだ大会などはなくて首都のタシュケントでさえも発展しているとは言えませんでした。

そんなこともあり日本チームの他には、メディアの方が数人しか来れない状況で、その中の一人にカメラマンの松本さん(まっちゃん)が来てくれました。ウズベキスタンは、イタリアとの時差が3時間ほどあるので、到着してから数日ほど熟睡できない状況が続き、体調面で優れない状態だったことを覚えています。神和住監督は、最初は本村さんと僕をシングルスで使いたかったらしいのですが、僕の状態を見て竹内コーチは、本村さんと金子さんのシングルスに僕と岩渕さんのダブルスという分業の提案をしたそうです。

その理由としては、これまで一緒に遠征をしている中で、今の僕を見て明らかにシングルスとダブルスを戦う状態ではないと判断したからです。竹内コーチいわく、僕からシングルスは戦えませんオーラが出ていたそうです(笑)確かに当時の僕が絶好調だとしても、レッドクレーで100位前後にいるオゴロドフに5セットマッチで勝てる確率は相当低いので、ダブルスに専念して確率の高い1勝を得る方を選択しました。

試合前日にオーダーが出て、シングルス№1に本村さんで№2に金子さん・ダブルスに僕と岩渕さんに決まりました。金曜日の第1試合がウズベキスタンの№1のオゴロドフvs金子さんでしたが、第3セットを6-4で取るものの、3-1でオゴロドフが勝利し、第2試合では、本村さんがウズベキスタン№2のトマシュビッチに第2セットを取られるものの3-1で勝利し、相手の№2からの貴重な1勝を上げました。

予想はしていましたが、7月の暑さに加えレッドクレーというサーフェスが難題でした。当然イレギュラーはするし、両者の取り決めで毎チェンジコートの度に水撒きをしてくれるのですが、暑さが厳しくすぐに乾いてしまいます。それでも置かれた状況で必死に戦い、初日を1-1で終えられたことは良かったです。2日目のダブルスで王手をかけるのか!?かけられるのか!?明日にでもお伝えしたいと思います。

それでは、また・・・・・。貴男